2006年05月22日
第4回ひの・まち再発見
唯一の里山倉沢緑地と史跡
百草開発状況を見る 政田 俊夫
2006年4月8日、早春の倉沢・百草地区のまち歩きを開催しました。 高幡不動駅に10時集合、10:10発のバスで「百草園住宅東」駅下車、ここで参加する人たちとも合流しました。
当日は少し肌寒かったせいか、総勢10人といつもより参加者が少なかったのですが、史跡を中心とした探訪が組まれていたため、案内をいただいた峰岸純夫先生のお話を詳しく聞くことができました。
午前の部は「百草山の自然と文化財を守る会」代表の峰岸先生の案内で、歩き始めました。
近くの山はようやく木々の芽吹きが始まったところで、淡い緑が萌えはじめていました。里のソメイヨシノは満開を過ぎて盛んに花びらを落としていましたが、山桜がちょうど咲き始め、若葉と調和して彩りを添えている様子がとても美しい景色を作り出しています。
歩き始めてすぐ、少し小高い台地の上に百草観音堂がありました。境内の斜面にはスダジイの古木が今でもたくましく立っています。そしてその樹齢は400年以上といわれる大木です。
入り口の階段近くには「武相九番百草観音札所」という石柱が立っていた。このお堂は百草の領主小林正利が建立したものとの説明があった。堂内には平安時代につくられたという木造聖観音立像が安置されているという。正利の子、正与が奉納したという手水鉢も残っていた。境内といってもこじんまりとした敷地で、奥には地蔵や馬頭観音、五輪塔の一部がまとめて安置されていた。
次に向かうのが百草八幡です。 枡井坂を登って行く途中右側の山手に洋画家として有名な、故小島善太郎邸の敷地が広がっていました。 なお、青梅市には市立小島善太郎美術館があります。この桝井坂は北側で松連坂や百草道となり、川崎街道とつながる古道の一部であることが、配布された資料の中に出ていました。
桝井坂の頂上がちょうど百草八幡の鳥居下になっていて、木造の鳥居をくぐって石段を上った正面に百草八幡宮の社殿がある。境内一帯には樹齢300年から400年もあるというスダジイの大木が群生しており、日野市で唯一天然記念物に指定されている貴重な植生だ。
もともと海岸近くに生えているスダジイが、30キロメートルも離れたこの土地に群生しているのはめずらしく、源氏の氏神を祭る鎌倉の鶴岡八幡宮辺りから持ち寄られたものかもしれないといった説明があった。
百草山といわれるこの辺り一帯は、もともと平安時代の人々が桜ヶ丘・一之宮地域の方から見て、西の方角に美しい夕日を見ることができたため、西方浄土の霊地として見立て、天台系の真慈悲寺という寺を造って供養の場としたという。
その後戦乱の世を経て江戸時代に真慈悲寺を引き継いで桝井山松連寺が整備された。松連寺本堂には、「武蔵吉富真慈悲寺」という銘文のある阿弥陀如来坐像が残されていて、これが国の重要文化財に指定されている。そして現在は八幡神社境内にある収蔵庫に安置されている。
百草山一帯からは鎌倉後期の軒瓦、東電学園の思索の丘からは平安時代末期の経筒が発掘されるなど、やがて真慈悲寺の全容が解明されるかもしれないと資料にあります。また、現在の百草園の北側一帯の山には百草城という連郭式の山城が築かれていたことがわかっている。この山城は三沢十騎衆などが築いた村の城だったとも考えられている。
桝井山松連寺はその後幕末まで慈岳山松連寺となり、明治時代に荒廃した寺域を百草村の豪商青木角蔵が買い取って庭園として一般に開放し、やがて現在の京王百草園となったのだが、百草山が古い時代から数々の歴史の歩みを積み重ねてきたことが理解できた。
百草八幡石段下から南に旧道を下ったところに、「野鳥供養塔」という珍しい板碑があった。表には「野鳥供養 三山」とあり、裏面に「昭和廿八年十月十五日 武州百草山霞猟場主 関口卓三」と刻まれている。かつて百草山一帯が野鳥の宝庫で、霞網による野鳥の狩場だったことがわかる記念碑だ。
以前日野の地図を眺めていて、「ちょうまんぴら公園」という変わった名前の公園があり、その由来が気になっていたのだが、配布資料の中に、八王子やこの辺りの方言で、ツグミのことを「ちようまん」ということが記されていて、ようやく「ちょうまん」の由来が判った次第だ。公園の名前になるぐらいこの辺り一帯にはツグミが沢山いたということだ。
さらに百草谷に沿って旧道を東に下った左手の林の中に、慈岳山松連寺住職代々の墓があった。墓の下は開かれた土地で、現在は栗林となっているが、このあたりも松連寺ゆかりの土地かもしれないと峰岸先生から説明があった。
スタートした時点では青空が見えていたのだが、この頃から急に雨雲が出てきて雨粒が落ちてきた。
東電総合研修センターの建物を右手に見る谷筋は畑や雑木林に囲まれて、すばらしい里山風景が見られる場所なのだが、この辺り一帯が開発の対象になっていて、住宅地に変わる計画が進んでいるという。 こんな場所にまで開発の波が押し寄せているという現実を知らされて参加者は残念がっていた。
この近くの古道沿いの小高い平場に「六地蔵」が見られるが、石像の老朽化が激しい。この地蔵は百草谷の男女の念仏講が建てたもので、赤色地獄道、白色人道、黄色餓鬼道、黒色畜生道、赤色修羅道、青色天道の六道が、それぞれの地蔵像から読み取れる。冥界の六道を色で表している貴重な六地蔵であると資料にある。他に道祖神や庚申塔もあった。
できるだけ早いうちに保存を考えたいと説明があった。
この後雨の中を出発地点に戻った所に、次の案内役の「倉沢里山を愛する会」の田村さんが待っておられた。
帝京大学グラウンドの下を通り、杉野学園の旧グラウンド跡地の開発現場を見に行った。
この場所はもともと谷地であったところを埋め立ててグランド整備がなされたところで、宅地整備をするため更にグランド面に盛り土を施行し、道路の傾斜に合わせてひな壇式に造成し直すという計画となっている。工事はかなり進んでいて、コンクリートの擁壁も大分出来上がっていた。元の谷地の地山面からは20メートル近くも盛り土がされているそうだ。
開発地域の中にはすでに特別養護老人ホーム「あすなろ」が完成し、プレハブ式の戸建て住宅も盛んに建設中であった。開発にあたって田村さん達の会の運動の結果、道路沿いの斜面地の一部が緑地として残され雑木林の面影をかろうじて留めていた。
また、本来は新規住宅地内に設けられる予定だった提供公園は、多摩市に接した緑地の一部を造成しなおし、道路に接した南側の小高い平場に造られることになった。
ここで午前の部をいったん終了し、由木農場の側を歩いて田村さんの家に接する緑地で昼食となりました。昼食に先立って参加者全員の簡単な自己紹介がありました。
メンバーの中には、このまち歩きに以前も参加してくださった顔ぶれもおりました。
見上げると雨も止んで一面に素晴らしい青空が広がっていた。
昼食後、この里山に住んでいた狸が、前の道路で交通事故にあい、亡くなっていたのを剥製にして標本としたものを田村さんのテラスで一同見せてもらいましたが、なかなか可愛い雌の狸でした。狸もとんだ災難に逢ったものです。この辺りではハクビシンも見かけるそうです。
近くから参加された方からは、自宅で猿と顔を合わせて怖い思いをしたという話も出てきました。
もともと里山に暮らしていた野鳥や動物たちの住処を開発したわけですから、さぞかし彼等鳥や動物たちも最近の環境の急激な変化には驚いていることでしょう。
貴重な里山を歩く
午後の部はここ倉沢地区の里山の観察となるわけですが、そもそも里山として現在残っている場所は、田村さんや峰岸さん達が6年前に緑地保全の活動を始め、「倉沢里山を愛する会」を立ちあげる中で残された貴重な里山です。
現在その活動は毎回50人もの会員が集まり、雑木林の手入れや下草刈り、斜面地の管理、畑地を買い取っての野菜作りなどをとおして、この辺りの景観を守ってこられたのである。
いまや聞き伝えやホームページを見て、外部からのお客様や見学者も随分増えてきたという記事が、頂いた会報「アリスの丘ファーム」の最新号に紹介されていました。
なお平成16年3月31日、日野市と「石坂ファームハウス」、「倉沢里山を愛する会」、NPO法人「やまぼうし」が倉沢里山パートナーシップ協定を結んでいます。 市は、危険を伴う高木の伐採、緑地管理作業に必要な器具や資材の貸与などを行っています。
田村さんの家を出て、一行は倉沢緑地の見学に向かいました。下草も刈られて手入が行き届いていて、明るく美しい林内となっています。
クヌギやコナラの落ち葉堆肥の仕切りの中にはカブトムシの幼虫が一杯いるそうです。
緑地内に市が造った炭焼き窯があるのだが、現在は煙の問題で休止となっている。
雑木林の中を歩いて行くと、途中多摩市の境となる石坂家の山林の中にも庚申塔があった。その中の一つは1710年(宝永七年)に3代目領主小林正利の造立したものだそうで、一つの表面には青面金剛、日月、天邪鬼、二羽のにわとり、三猿が今もはっきりと刻まれているのが観察できた。よほど良質の石が使われているのでしょうと説明があった。
この後倉沢第一緑地に入り、少し伐採しすぎの感のあるクヌギの木や貴重な野草を観察した。
隣の畑地はNPO法人やまぼうしの管理でそこにはドラム缶窯があって、竹炭を焼き細かく粉砕して作物の土壌の中に混ぜて土の活性を図っているという説明がありました。
近くには農家のりんごやブルーベリーの畑もあり、盛んにウグイスのさえずる声も聞こえ、里山の景観を堪能して予定の時間にまちあるきを無事終えることができました。
投稿者 Ryokucchi : 10:37 | コメント (0) | トラックバック (0)
生ごみ堆肥で元気野菜(詳細)
〜子ども達に伝えよう!「いのちの循環」〜
ひの・まちの生ごみを考える会 佐藤 美千代
第1部の吉田俊道氏の話から
なぜ“生ごみ”を使った有機の土は虫や病気に強い元気野菜を育てることができるのか?野菜も人間も原理は同じ。土のいのちが根を通して野菜に移ったように、人も食べ物のいのちが“お腹畑の根”(小腸の絨毛)を通して人に移るという理論を展開した。そして心身共にひ弱な子どもが多くなっている原因を、「食」に対する人々の意識の低下、徹底的な無菌主義、効率優先の近代農業のあり方と対比させた。
「生ごみリサイクル」は、「いのちの循環」。元気な体を作るには、微生物たっぷりの土からできた元気野菜を食べよう。元気野菜はちょっとしたコツさえあれば、生ごみを土に戻すだけで保育園児にでもできる。一度元気野菜のおいしさを体験すれば、だれでも自分で作りたくなる。生ごみが欲しくてたまらなくなる。生ごみを捨てるなんてもったいないのだ!
こうして文章にすると固い内容で面白くないと思われるかもしれないが、これが吉田マジックにかかると、綾小路きみまろの独演会を聞いているような笑いの中、目からウロコの感動が参加者の心に小さな変革を起こすのだ。参加者アンケートの結果を見ても、有意義な話で感動、元気をもらった、家でも野菜を作ってみたいという感想が多かった。
実際、佐世保市では「生ごみリサイクル元気野菜作り」の輪がどんどん広がり、小さな市民団体が学校を動かし、教育委員会を動かし、ついに佐世保市長の心までも動かして「食育の佐世保」としてこの活動を予算化した。耕作放棄地での有機野菜作り支援や小中学校の給食残渣を使った野菜作りを通し、農林部、環境部とも連携して「生ごみリサイクル農業」に本格的に取り組んでいるという。生ごみをゴミの減量だけでなく、別の視点から見つめることも大切ということを学ばせていただいた。
第2部 日野市内の生ごみ堆肥化
6人から、各々コンポスト使用のノウハウや、庭に直接埋める方法で長く続けるコツ、自治会でアンケートの実施を行いネットワーク作りをめざしている事例、地域の農循環をめざし52世帯の生ごみをNPOと市が協働して行っている事例などの紹介が行われた。
アンケートでは、身近な具体例は参考になった、地域での取り組みに活かしたい、NPOの活動や堆肥化のしくみ作りを広げてほしいという声が多かったが、庭や畑を持たない集合住宅でもできる取り組み事例が紹介できなかったのは心残りである。
休憩時間のゴボウの皮付きと皮なしスープの飲み比べ
ほとんどの人が皮付きの方がこくと香りがあっておいしいとの評価。どちらも油で炒めて塩を少し落としただけのスープだったが、皮を捨てるのはもったいないという実感が参加者にも伝わったようだ。また、吉田氏が持参した元気野菜の人参は、香りと甘さに深みがあり、「こんなにおいしい人参は初めて!」と驚く人がほとんどだった。私も、人参の袋を開けたとたんにプーンと放つ甘い香りに、果物だと思ったほどだ。本当においしくて、このような体験は何よりも説得力があると感じた。明日にでも生ごみリサイクル元気野菜を作ってみたいという衝動に駆られる人が多いというのも頷ける。
この講演会は、「ひの・まちの生ごみを考える会」が生ごみ堆肥化を目的として、「日野市ごみゼロ推進課」の委託を受けて開催した企画である。せっかくなら実行委員会形式にして長年生ごみ問題に取り組んでいる人たちとも連携したいと、「日野消費者運動連絡会」「NPO法人やまぼうし」「日野市教育委員会」をはじめ、地域で活動されている方達との協働で実現した。当会だけでは人員的に難しかった受付や販売、2色刷のチラシ作成、ゴボウスープの飲み比べ、生ごみ相談コーナーなども、これらの方々の協力があってのことだ。
開催前に3回、終了後に1回、計4回の実行委員会を行い、参加者アンケート結果も分析して次回につながるように意見もまとめた。(今回の参加者は163名。アンケートの回答48名。回答率29.4%)生ごみ堆肥化を普及させるためには、しくみ作りを考えると共に、各地でバラバラに活動する仲間同士が顔を合わせて検討する場づくりも大切だと思っている。
「食育」にも関係することなので教育委員会に協力を依頼し、市内全小・中学校の生徒一人一人にもチラシを配布してもらった。できれば教育者に多く参加してもらい学校での取り組みに期待したのだが、参加者アンケートの結果を見ると、学校からのチラシを見て参加した人はゼロ。一番多かったのは、友人・知人の紹介が31%、学校以外でチラシを見て25%、広報ひのを見て13%、新聞などが12%と、やはり口コミの力が大きく、学校への配布は枚数の多さに比べてほとんど効果がないことがわかった。
また、参加者の構成を見ると、廃棄物減量等推進員が26名、一般参加者が137名。今回は廃棄物減量推進員の研修会も兼ねていたが、思ったより一般の参加者が多いという結果は意外だった。アンケートによると推進員25%、日野市民29%、生ごみ団体メンバー24%、その他・無回答が22%。生ごみを可燃ゴミに出している参加者は30%にとどまっており、生ゴミを焼却したくない人が多かった。
アンケートの自由記入欄では、日野市への提言として、農家やJAと協力した生ごみリサイクル元気野菜作り、剪定枝の回収方法の見直し、市内の落ち葉を集め、市民が自由に持ち帰るしくみ作り、食べ残しをしない食育の大切さ、良い活動への助成金の充実などの意見がみられた。
全体を通して、実行委員・参加者共に大変有意義でよかったという意見が多かっただけに、収容人数300名のホールを埋めることができなかったのは残念だ。
講演会終了後、さっそく吉田氏の話と人参の味に感動した近所のお母さん達7名と一緒に、小学校の生ごみをもらって生ごみリサイクル元気野菜作りを開始した。今から結果が楽しみである。
投稿者 Ryokucchi : 10:43 | コメント (0) | トラックバック (0)
日野市まちづくり条例
「日野市まちづくり条例」が3月の日野市議会で可決成立
梁瀬 悦司
「日野市まちづくり条例」の素案が昨年の春にでき、パブリックコメントを3度(平成17年4月、6月、平成18年1月)にわたり求め、この3月議会に上程され、全会一致で可決成立した。今年10月1日からの施行で、いよいよ「日野市まちづくり条例」が動き出す。条例で規定されている「まちづくり会議」のメンバーがどうなるのか、実際の運用に向けて心配が多いが、期待するところが大きい。
この条例の特徴は、開発手続きの規定と「まちづくりマスタープラン」の実現に関する規定に大別できる。守るべきものを守り、創るべきものを創るということである。そして、それぞれの手続きの中で情報公開を組み込んだので、情報の早期入手が可能になった反面、市民も知らなかったでは済まされない点もある。守るべきものには、常日頃から、何が大切なのか発信し、創っていこうとするものである。よい環境を維持することも、まちづくりの重要な側面であるからだ。
一方、景観ワークショップが開かれ、景観法を意識した動きもある。日野市に環境保全活動をバックアップし、いろいろな仕掛けをと期待したいが、市民のコンセンサスを得てまちの価値を認識することなどは「まちづくり会議」の仕事であろう。
また、開発計画を立てる前提条件として、環境情報を発信されていると、抑止力となるのではないか。指導担当者の力量に左右されていた、要綱時代のお願い方式から、条例に変わったことの成果を期待したい。今までのように、土地を買ってしまってから、騒いで、その解決に膨大な時間と労力を費やすことは、誰も望んでいない。
投稿者 Ryokucchi : 10:49 | コメント (0) | トラックバック (0)
日野市「農の学校」を終了して
1期生 井坪 恒夫
農業者の高齢化と後継者不足による農業の担い手不足を解消するため、援農ボランティア養成講座「農の学校」が平成17年1月に開校しました。24名が受講し、22名が昨年12月に修了しました。今年の4月より修了生による援農活動が始まります。市民による日野の農地を保全し、農業を応援する活動として大きな期待が寄せられています。
研修を終えた私の心境は、農業に関わったというより、やっと「日野市民」になれたという、日野市民としての実感が湧いてきております。36年前の結婚当時、日野の緑の多さ、自然環境の豊かさが気に入り居を構えました。以来ずっと百草に住んでいますが、早朝出勤、深夜帰宅の生活で、自然を満喫する余裕はありませんでした。寝泊まりの場に過ぎず、日野市民としての自覚など全くありませんでした。それが昨年1年間、地元農家の方々と日野の土地で共に汗を流して土作りから収穫までの体験をした結果、日野に住んでいる実感を得たのです。今まではほとんど見向きもしなかった「広報ひの」を楽しみに読み、市や地域の情報を活用している今日この頃です。
養成講座の実習では、農家の方々から、土作りから収穫までのあらゆる作業を教わりました。
「畑を勝手に歩かないで! 土を踏み固めないで!」
「鍬はこう使うんだよ。それじゃあ危ない!」
「種は3粒ずつ播いて! ここは6粒あるよ」
ニンジンや白菜等の間引きでは、野菜を傷めないように丁寧に扱うこと、収穫では、泥をつけないよう大切に扱うことを学びました。
畑作業の基本である草取りでは、「後を見なさい、もう少し丁寧に」と言われ、後片付けでは道具がサビないようにと何回も注意を受けました。畑、作物、道具を大切にすることが、良い作物作りにつながることを教わりました。
講義では、農協の方々から土づくり、肥料・農薬の正しい知識、使い方を教わりました。誤解による過度な警戒心も解けて日野野菜に対する安心感が生まれました。
こんな1年間でしたが、農場で食べたトウモロコシが甘かったこと、暑い最中、スイカを鎌で切ってかぶりついた時の何とも言えない新鮮さ、おいしさ。間引き野菜のお浸しの柔らかだったこと。野菜を愛おしく感じるようになりました。我が家の野菜嫌いの年寄りが「おいしい、おいしい」と言って食べてくれました。最近は農協や直売所をめぐり、日野の新鮮野菜を楽しんでいます。私の大好物は「野良坊」です。
実は私自身は信州の農家の次男として生まれ、約20年間、農作業を手伝いながら、育ちました。当時の人力に頼る作業は過酷で大変でした。2度と農業はやりたくないとの思いでずっと過ごしてきました。田舎に帰る度に、親戚からは「サラリーマンは定年があっていいなあー」と言われてきました。
ところが十数年前からは逆に「おれ達は定年がなくていいぞ! これからは楽しみながら農業をやるぞ。定年後はどうする?」こんな会話になりました。ちょうどその頃から、私も自然や田舎が恋しくなりはじめ、「週末田舎暮らし」「定年後田舎暮らし」等々を読みあさりました。「クラインガルテン」「体験農園」等の情報をいろいろ知りましたが、家庭や資金の問題等があります。
これからは日野を第二の郷土、終の棲家にして、都会と田舎暮らしの両方を楽しみたいと思います。サラリーマンを終えて、コミュニティの中で自然と共生していく上での大きなものが発見できました。
多くの方が、この活動に参加され、家の中から飛び出して田畑に出ることにより、日野の農地・自然を守ると共に、空き缶、ペットボトル等の投げ捨てを防止、さらには田畑から子どもたちを見守るとことにもつながるものと思っています。
その後、修了生によって「日野人・援農の会」が発足、4地域にグループ編成しました。この「湧水」がお手もとに届く頃には、メンバーが日野の農地で汗を流していることと思います。
投稿者 Ryokucchi : 10:51 | コメント (0) | トラックバック (0)
太陽光発電との出会い
PNPO法人・太陽光発電所ネットワークに参加
東平山 馬場 秀樹
早いもので、私と太陽光発電との出会いから、もう7年もの月日が経とうとしています。
古くなった自宅を二世帯住宅として新築するにあたり、お決まりの住宅展示場めぐりをしていたとき、太陽光発電パネルなるものの存在を知りました。
電気代が安くなりそうな、なかなか便利な設備のようではありましたが、私にとっては金額的にとてもとても気楽に手が出せるような代物ではありませんでした。
何社か回っているうちに、父が気に入ったハウスメーカーとめぐり合い、話が具体化していくうちに、太陽光発電パネル(写真)を 「サービス」 で付けてくれることとなりました。
こんな単純なきっかけが、私が太陽光発電を始めた動機です。
そして、いよいよ新居も完成した平成11年9月、私も「個人発電所長」の仲間入りを果たしました。
当初私が期待していたのは、太陽の光をパネルに受けているだけで、特にメンテナンスもせずに電気を発電してくれて、自宅で消費する分のほか余った電気は電力会社へ売ってくれる。ということは、買った電気代と売った電気代がとんとんになればもうけもの、とこれまた単純にそう思っていたのですが、現実は甘かった・・・。
そんなとき、「太陽光発電所長さんたち、一緒に集まって市民団体を立ち上げませんか」という趣旨の一枚のはがきが舞い込みました。これが今のPV−Net(NPO法人・太陽光発電所ネットワーク)の幕開けでした。
「太陽光発電所長さんたちが集まって一体何をするんだろう」という興味から、準備会合や設立総会などにひとりの会員として参加しているうちに、太陽光発電そのものが「地球温暖化防止」に役立っていることなど、電気代の節約という「経済的観念」とは別に、「自然環境保護」にも深く関わっていることを学びました。
そしてある日のこと、すぐ近所の会員の方が我が家を訪れ、お互いの太陽光発電状況の情報交換や、この日野市にも発電所長さんたちが少なくないことなどを教えていただきました。
それまで全く見ず知らずの方でしたが、太陽光発電所長という共通点だけですぐに打ち解け、しかも話題が尽きないという、ある意味とても新鮮な驚きを感じ。それ以来、私自身も世話人となって、日野市の会員同士が集まれる場を作ろうとお手伝いした結果、今では定期的な集会を開催できるまでになりました。
PV−Netはこの5月で設立4年目を迎え、1400名を超える会員数を抱えるようになりました。そして、(私の知る限りですが)太陽光発電所長さんたちの唯一の全国規模のNPOとして、今後もますます発展して行くことでしょう。
日野市会員は12名(昨年末)ですが、新エネルギー財団からの公表資料によると、市内には昨年度末で170棟を超える太陽光発電パネル設置宅があるはずです。
今後の目標はこの既設置の方々への入会の勧めは勿論のこと、広く一般の方々にも太陽光発電の素晴らしさをに知ってもらいたいとの思いから、「設置者体験談」などを語る説明会を定期的に開催して行きますので、ご興味のある方は、是非、PV−Netのホームページ(※)をチェックしてください。
(※)http://www.greenenergy.jp
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